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無目的的散歩〜ギャップのはびこる新宿〜

新宿東口です。

ライオンの前で待ち合わせ。名前は「みらいおん」らしい。

お馴染みのねこもいた。こちらはシンプルに「新宿東口の猫」でいいみたい。Xのアカウントもありました[リンク]

土曜日ということもあってか人が多い。信号待ちで人が溜まっていくので、横断歩道からだいぶ距離がある場所で待つことになる。

今回は、私自身もよく行く新宿で目的もなく歩いていきます。

馴染のある場所には、どのような馴染のないものがあるのか。あるいは、自分はこれまでなにを見過ごしてきたのか。

子ども用の耳当てってごしき君に言われたけど、つなぎの部分がちっちゃすぎてあんまり納得できなかった。じゃあ何なんだと言われても答えられないけど。

なんとなく公園を目指しましょうかね。都会の公園っていいですよね。当たり前のようにたたずむペットボトル氏にフタは無い。

歌舞伎町を通って行きますせっかくだし。

被せられてるマスクがごわっごわである。なぜか大笑顔のガキンチョはまぬがれている。だから大笑顔なのか。

オリジナリティあふれる「見てるぞ」看板。相場は大きい目が1セットだと思うけども、こやつらは複数体で迫ってくるタイプだ。

歌舞伎町に染まる安楽亭。パリピ色使って挑む経営。でも車通り多い道路に面してるイメージが鮮明。だからここで出会えたのは光栄。いぇ。

ちょっと路地に入ると、メーターが物置に使われてるのを発見。いや捨てられているのか。そしてところせましと貼られたシール。

ここ歌舞伎町には、生活感あふれる路地がある。きっと、ただ人が通り過ぎていく場所ではないからだ。でも、その人達はまだここにはいない。代わりにゴミとシールの堆積が、昼すぎの歌舞伎町の表情として、浮き上がってくる。

あとは、ごみの注意書きと、

DVDが見れる場所と、

無料案内所がとにかく多い。ここまで情報通信技術が発達しているのに、どうして店まで構えて、案内してもらう必要があるのだろうか。明朝体が少しあやしさを助長している。

3m級のコイツが4体くらいいた。ここ歌舞伎町では、ここまでしないと目立てないのかもしれない。

と思ったら、派手さとのギャップを利用する店も。ここ歌舞伎町では、彼女たちこそかぶき者なのかもしれない。

まるで、『千と千尋の神隠し』冒頭で描かれる、誰もいない温泉街を歩いているような気分だ。

歌舞伎町は夜の街として知られている。昼過ぎに集まった我々は、馴染のない、かつまだ本来の姿ではない歌舞伎町の珍妙な風景と異文化感に、気圧されると同時に拍子抜けしていた。

調子が狂うぜ。だってなにを切り取っていいかわからないもの。

それでも、我々はさらに歌舞伎町の深部へと向かう。

でかいホストの看板がずらり。きっとみんな、この辺りじゃ有名なのだろう。アルバムを出したわけでもアイドルでもないのに、ここまで顔がフィーチャーされた看板ができるのはやっぱりすごい。

こういうポップさも兼ね備えている。クレヨンしんちゃんの映画に出てきそうだ。

アメリカン・ピース・ヨジノボリ・ゴリラ

こんな形のパーツをパチパチ留めて遊ぶおもちゃ、ありましたよね。あったんです。

ゴミ箱と花壇の邂逅。明らかに、このくっつき方以外にはありえないもんね。心の中で「そうだよね」ってなった。

ちょっとわかりにくいですが、天井にも地上がある。「キングダムハーツ」、キンハーみたいな世界観だ。やったことないけど。

そんなこんなで、大久保公園に到着。中ではバスケや漫才の練習をしてる人たちがいました。

試しに座ってみると、「あ、これは」となってすぐに退散した。

退散中に、色味が何かに配慮されている看板を発見。でも安楽亭は「いぇ。」だったし、なぜここだけ?

歌舞伎町をそのまま後にして、西側に向かう。

PlayStationみたいなビルの根っこを通り過ぎていきます。

ごしきくんの「腹減った」というつぶやきの頻度が高くなってきたので、そろそろ飯をくおう。

空白を埋めるようにある顔が意味不明すぎてここはパス。

男二人で歩くと大抵はラーメンかカレーになる。写真だとなんかカレー感あるけど煮干しラーメンです。ごしきくんもご満悦でした。

自転車とか停められないようにかな。これもまた、ありあわせのもので作られた見事なものの邂逅だ。

塀の内側に設置された蛇口
SWAMP coffee

食後にぴったしのタイミングでコーヒースタンドに出会ってしまった。「あと10歩」って案内されると、やっぱり数えたくなるぜ。

中はそんなに広くないけどまあまあ人がいて、レコードの音楽やコーヒーの香りに浸りながら日々のいろんなものを洗い流している、そんな感じがした。ルワンダのドリップコーヒーとエチオピアの豆を購入。

こんな落ち着き空間が新宿のビルの根っこにあったら、そりゃ、行きますよ。これもギャップなのかもしれない。

成子天神社

閑静な住宅街に突然。けど境内に入ると、一層、さっと静けさが増した気がする。

混み合った街の喧騒、ギラギラした看板、無料案内所、ホストクラブ、ビル群、レコードが心地良いカフェ、住宅街。そして神社。おそらく私達は、新宿の目まぐるしさにやられていた。じゃなきゃ、七福神や風神雷神など見どころの多い神社を、こんなに簡単に素通りするわけない。

お手製のポスターを拝むことで、一旦身体をこの街にチューニングしよう。

めちゃめちゃ普通に住宅街。それでも前方にビルを臨む立地。

何かが散乱している
芸術的なボロボロ具合のカバー

発泡スチロールでできた即席看板。なんというか、怒りの勢いそのままに作った感がいい。そして「入れられた」という認識なんだ。

歯みたいでかわいい。なんで歯みたいだとかわいいのかは全然わかんない。あくまで「歯みたい」だから許されてるのだろうな。

公園だ。コーヒーを飲んだので、実はすごいトイレを我慢してました。公園を見た瞬間にトイレがあると決めつけて、身体の力を緩める。

そしてほんとにあったぜい。ありがたや。

公園の前に。今や、我慢からのEXITを意味する様に見える。ほんと、ここにトイレ無かったらどうしてたんだろ。

まあこの公園、なんてたってトイレあるしな、泊まりたい気持ちが湧きやすいよね。

チョコミント配色のアパート。トイレがある公園が近いので、立地はすごく良い。

入口ではぬいぐるみたちがお出迎え。ここでしかお目にかかれないコラボだ。近くにトイレもあるし、どこか余裕のある顔をしている。

これくらいトイレ公園をよいしょしておけば、次やばい時もまたトイレ公園に出会えるだろう。

アナログの「拡散希望」始めて見た。この記事は拡散のうちに入るのかな。

めちゃ×2住宅街です。結構な下り坂なんだけど、写真だと全く伝わらないなあ。

なんかいい路地

なんかいい路地bot

赤い「と」が行方不明

新宿にも川がある。確か神田川。ここを堺に右側が中野区になります。

ちょっと油断するとビルが。住宅地とビル地区のギャップでまた調子が狂う。一気に視界が開けては、

少し住宅地に入るとこういうのがある。距離的には近いのに、高層ビルで働いている人たちがこの犬の毛と出会うことは想像もできない。ビルの根っこでは犬の毛が散乱し、回収され、こうして掲げられているのだ!

猫が3匹。もう一匹は、おじさんの膝の上でなっでなでされていた。おじさんは猫用のクッションをひざに敷いていた。

坂を見たら登らざるを得ない。下るときには躊躇しても、登る分には損しないからね。

この散歩全体を通して、飛行機が割と低い高度で行き来していた。坂をあがったことで、飛行機との距離が一段と近くなる。気がする。

坂を登って正解だった。車の上に乗られても良しとしてるオーナーの懐の深さを感じろよ!

坂の上は外敵が少ないのだろうか。

サ――っと逃げていったと思ったら、こっちを見てる。「それ以上来てみろ?にげるぞ?」って剣幕だ。

いやそこ通り道なのよ。

またね。

躊躇してから、坂を下る。雪は今日までだろう。溶けた身体を下へと垂らして、どこかへ行こうとしてる。

自由すぎますって。なんかもう批評性の高い現代アートに見えてきた。

雰囲気が変わった。こういう道に惹かれないわけない。

街頭にしては土台がでかすぎないかな。収納能力がないと許されないでかさだ。

ゴミ捨てのマナー違反vs駐車違反

弁当みたいな詰め合わせ方。いろんな形のものがぎゅっと収まっていて心が落ち着く。

カスタムされたカラーコーンに遭遇。てっぺんの光りそうなやつはわかるけど、錆びた缶をかぶるのは謎。

よく見ると、シール同士で会話してた。この缶は危険さをアピールするためのものかもしれないそう思うと、少しかわいく思えてくる。

新宿東口を出発したときには、鎖で塞がれた小さな急階段に引き込まれるとは考えもしなかった。あの大都会とここは、確かにつながっている。

大きめの道路に出て、

中野坂上でフィニッシュ。

今回の散歩では、新宿東口からはじまり、歌舞伎町を通ってから西新宿のビルの根っこに広がる住宅街をうろうろしました。

新宿は、派手さと素朴さ、ビル街と住宅街、忙しさと落ち着き、巨視的な目線と微視的な目線などといったギャップを経験することができる場所でした。一方で、散歩を通じて改めて確かなものとなるのは、こうしたギャップ(差異―ずれ―断絶)が、つながっているということです。ギャップのつながりを経験すること。それは私には、様々なものを一つの枠の中に配置してみせるコラージュのように、創造的な行為に思えます。

ビルの上から街を見下ろすだけでは、ビニール袋に入った犬の毛や不格好なカラーコーンは、見えてこないし想像することも難しい。散歩をすることでギャップを経験し、それらがつながっているという感覚がもたらされることで、私は、自分自身の人生を多少なりとも創造しているという感覚を、想像し続けることができているのかもしれない。

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